テアトル蟻地獄

幻とのつきあい方

iPhoneが美しく飛ぶ夜

今から約5分後、私は「ウワーー!!」と叫び声をあげながらiPhoneを投げます。

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ブログをやったのは、二十数年の人生のうち三度。

椎名林檎の世界観に憧れて、漢字をやたらと多用した文章を書き連ねた中学生のとき。

学級文庫で置いてあった大槻ケンヂのエッセイにモロに影響を受けて始めた高校生のとき。

この2つのブログは『やってた』ということ以外ほぼ記憶がないので(記憶の防衛本能が働いてるのかもしれない)今回取り上げるのは、同級生の持つガラケーが少しずつiPhoneに変わっていくのをぼんやり眺めていた大学生のとき。

この頃はみんな少しずつtwitterに移行し始めていたので、なんとなく新しいものに抵抗があった捻くれ者の私は、過渡期を少し過ぎたmixiでぼちぼち日記を書いてました。

「何かネタはないだろうか」とこのブログを書くためだけに、数年ぶりにmixiにログインしたんですが、奇跡的に記事が残っていたので、ここに貼ります。

2010年8月、投稿時間は午前1時半。
過去の私に伝えたい。『ラブレターや日記は、夜中の勢いで書いてはいけない』という先人たちの知恵を。

弟と近所のショッピングモールに行った際、気に入っていた雑貨屋が潰れていたことにショックを受けたという文章から始まります。





時代が変わる。
人が変わる。
思い出の土地が変わる。
自分が変わる。

古いものに情を移されていると言われればそれまでだけれど、やはりすこし寂しい。

昔よく通った道や店が一つ一つ消えていく理由を、時代と言うたった二文字で妥協しなければいけないのだろうか。
それは、寂しいことだと思う。

だからこそ、古本屋とかに惹かれる。
そういう場所には過去の産物がいまも力強く存在していて、しかもみんながそれを受け入れて必要としているから、すきだ。

新しいものとか、利益を望むのももちろん大事なことだけれど、世の中はそれだけじゃないんじゃないかなと思った7月の終わりでした。








投げたiPhoneは、まだ戻ってきません。